雨の樹を探しに

lplomdの日記

c71さんの文章の暴力性について

私はネットで普段一番よくみているのは、ほぼ日刊イトイ新聞ツイッターでは、ほぼ日主催の糸井重里さんをはじめとして、糸井さんが紹介している方々をフォローすることが多いです。はてなで有名な、ちきりんさんも、糸井さんから知ってフォローさせて頂いてます。
糸井さんもちきりんさんも、ネットで意見する上でのマナーとしてよく仰っているのは、「ネット上で汚い言葉を使うのはやめましょう」「直接本人に対面した時には使えないような言葉は、ネットでも使うべきではない」。
私もこの意見には賛成で、ネット上で見かけるネトウヨや、汚い暴言ばかりの文章には、興味がありません。
 
c71さんの書くブログの文章やツイッターは時折、汚い言葉や内容で、非常に攻撃的になることがあります。
正直に言うと、私はc71さんの文章は、好きなものと嫌いなものとがはっきりあって、攻撃的な文章は苦手でした。
私がc71さんと知り合ってからしばらくたった頃、c71さんのフェミニズムの考え方に対し誹謗中傷があり、その発言者とc71さんが、激しくネット上でやり合っていたことがあります。
c71さんはその時、誹謗中傷してきた相手にのみ強い言葉で文章を書いていたと思います。ですが、読み方によってはフェミニストからの男性批判にも読めてしまう文章だったため、それを読んでいた男性の私は読むのが辛くなり、それからしばらくの間はツイッターc71さんのフォローを外し、接触を絶っていたこともありました。
ですが、その後またc71さんと接するようになって、私はc71さんの攻撃的な文章を書くことを、簡単に悪いこととは思えなくなりました。
 
そもそもc71さんは、自分の発言に対しての責任をちゃんと自覚されていますので、周りがそれに対してとやかく言えることではありません。でも、私もあれだけ攻撃的な文章を公開して、c71さんご自身が危険な目に遭ったりしないのか、心配になったりもします。
そこで今回、私はc71さんのご自宅に招いて頂いた時、そのことを直接聞きました。
するとc71さん、さすがにそこはしっかりしていて、ご自身が法学部出身ということもあり、法律にも気を使いながら、非常に感情的に見える文章でも、それは文章の威力を強くするためにやっていることであり、それほど感情的になって書いているわけではないということでした。
私はそれを聞いて、それならば私は特に何も言うつもりはありませんと答えました。
 
 
今回の菅野完氏と、彼から性被害を受けたと主張する被害者女性との一連のことについて、特にc71さんと私たち仲間に対して裏切るような行為をした、被害者女性とその友人達に、c71さんが攻撃的なツイッターを上げたことに対する批判がありました。
批判した人たちの共通したいい分は、「傷ついているからと言って、ネットに何を書いてもいいというわけではない」というものでした。
 
確かに「ネットに何を書いてもいいわけではない」という言い分は正論ですが、その言葉はc71さんよりもまず、普段から悪質な発言を続けているネトウヨのような人々に対していうべきではないでしょうか?
もし、ネトウヨのような人達に対して、同じように「ネットに何を書いてもいいわけではない」ということを、怖くて言えない。もしくは面倒なことにしかならないから無意味。と考えて言えないとしたら、同じ言葉をc71さんに対していうのは、c71さんの為を思ってというよりは、単に言いやすいからではないでしょうか?
 
 
c71さんは普段から攻撃的な人ではありません。むしろ、攻撃的な主張のある文章は、あまり好きではないと仰っているくらいで、リアルで直接お会いしても、フェミニストということで男性の私のあら捜しをするようなことは、一切ありません。そうでなければ、直接ご自宅まで遊びに行ったりなんてことは、まずしませんが。
 
c71さんが攻撃的な文章を書くのは、自分に対して悪質な発言や、嫌がらせを受けた場合に、その発言者個人に対して行われます。
ネトウヨなどにネット上で攻撃を受けた場合、ほとんどはネトウヨが匿名性を盾にして、攻撃を受けた側が泣き寝入りになってしまう場合がほとんどですが、c71さんはそのようなネットの現状にも、強い怒りを持っていて、そのようなネット内の暴力に対して、ずっと一人で戦っています。
そのため、ネトウヨの様な人たちにたいする言葉の暴力性を、最大にまで高めるために、敢えて汚い言葉も使います。
 
特にc71さんの場合は、発達障害をであることに重ねて、幼いころから親からの虐待を受けて育ち、性暴力の被害にも何度もあったりしながらも、ほとんど自分一人の力で戦いながら、今まで生きてこられています。
今回のように、何人かのc71さんの仲間が集まって協力しあっているのは、ほんの一か月前からのことです。
もしc71さんが、育つ環境がもっと愛情に恵まれたもので、今まで暴力を受けたときも、もっと助けの手が差し伸べられる環境であったなら、c71さんは今頃、ネットで暴力的な文章を書いたりしていなかったかもしれません。
 
今回、c71さんとパートナーさんのご自宅に二泊させていただいて、c71さんの壮絶な経歴を聞いたり、菅野完氏から性暴力を受けたと訴える女性との騒動を目の当たりにしたりして、私もそれまでは、ネットで暴力的な文章を見るのは好きではなかったのですが、c71さんが暴力的な文章を書く動機を見て、簡単にc71さんの文章を「暴力的な文章だから嫌い」という風には言えなくなりました。
 
c71さんは昔は、親や性暴力を振るってくる男性に対して、いくら辛くても全て自分が悪いのだと、ほとんど自分からの反抗や暴力的なことは、してこなかったそうです。
本当はそこで、他人の手が差し伸べられるべき状況にあったにもかかわらず、誰も助けてはくれなかった。
c71さんが暴力的な文章を書くのは、そんな、反抗もせずに傷つけられるだけだった、過去の自分を助けるためのようにも、私には見えてしまうのです。
 
もしc71さんの暴力的な文章が嫌いな方は、単純にフォローを外すなりして、文章を見なければいいだけではないでしょうか?
 
ネトウヨに文句を言うのが怖くて、c71さんには言いやすいと思って批判をするのであれば、やっていることはネトウヨ以上にたちが悪いとおもいます。
 
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